ゴールデンゲートブリッジとダウンタウンが見えてきた。いよいよサンフランシスコだ。1988年の今頃、日本から来て根を下ろしたアメリカ最初の地だ。こうして空の上から全体を見渡していると、仕事や生活を異国でスタートした時の様々な思い出が次から次へとすごいスピードで蘇ってきて、早送りのビデオを見ているような感覚に陥った。
サンフランシスコに住まいを構えて2年、その後シアトルへ移ってからも2年ほど行き来があったが、最近はあまり来ることはなかった。それでもこの街の匂いは今でもよく覚えている。単なるフィーリングだと思うけど、とても「優雅」な香りだ。あの頃は希望と不安と、孤独感が入り混じっていた。しかし気持ちのもっと奥底には、何かありそうな何かが起こりそうなミステリアスな魅力も感じていて、そのワクワク感が厳しい時期を乗り切るエネルギーになっていたように思う。
ジュエリーショップのガードマンは私服でとてもオシャレ。店の前で撮るのはまずいと、客でもないのに少しストリートを歩いてここでいいよとポーズをとってくれた。事が起こればきっとあてになるだろうと思わせる粋なハンサムボーイだった。
この街は右を向いても左を向いてもロマンスが溢れている。男性は頭や手を振ったりしながら夢中で話し、彼女はただじっと彼を見つめながらうれしそうに聞いている。幸せそうでいいね。
カンファレンスを終えて、ミーティングに向かったホテルはIT技術関係の連中が夕食前のミニパーティだ。薄い布地で包んだ大きなライトの柔らかな光が美しい。
ユニオンスクウェア横、夜の顔は秘密っぽくて好奇心をかきたてられる。仕事を終えて家路へ急ぐ人や旅行者や、人種も入り混じった人々が一体となった大きな流れの中へ自分も踏み込んでみようか、、、どこへ行き着くんだろう、面白そうね。
ホテルへ帰って寝てしまうのがもったいない。時間を楽しむにはダウンタウンの至る所にあるバーにふらりと入ればいい。店もこちらがどこの誰かなんて詮索しないし、その他大勢で扱ってくれるので気が楽だ。「余市」や「竹鶴」、「白州」も並んでいてさすがインターナショナルな街だ。
ほろ酔い気分でホテルへ帰ってこんな笑顔で迎えられたらうれしくなっちゃうね。疲れなんか飛んでしまって「いっぱいどお?」なんて誘おうかと思って・・・もそうしないのが熟成した大人の賢さです。だって断られたらご機嫌の一日が台無しだもんね。
サンフランシスコの風物詩と言えば、カリフォルニアの青空のもと坂道を往き来するチンチン電車(ケーブルカー)ね。乗車券が少し高い(確か1回 $6で、何度も乗るんだったら格安一日券)けど、100年以上街を彩っている、なくてはならない風景なんだ。
よく見かけるのは大きなワンちゃんを連れた若い女性だ。通常、小さなかわいらしいペット犬が定番だけど、これがサンフランシスコファッションだろうか。でも口輪の猛犬らしき彼は、接近してスニークショットをしている不審な輩に気づいていないんよねえ。
大きからず小さからずのこの街のサイズとオープンな雰囲気は目覚めがいいというか、気持ちがしっくりと溶け込んで違和感がない。現在生活の基盤になっているシアトルはミニサンフランシスコという感じで地形も文化も似ていて好きだけど、こちらは何となく大らかさがある土地柄だ。とにかく米国に永住することになった切っ掛けの場所だから思いは深く、飛行機で2時間もかからないので来る機会を増やしたいと思っている。
最近は21mmレンズでのスナップが多い。感覚的な言い方だけどこのレンズは絵の色のりがいいし透明感もあり、絞りで被写界深度を相当深くでき、素早いショットを可能にするので気に入っている。大きなぼけなどで写真の印象を高めることは出来ない反面、パンフォーカスですっきりした画像を楽しめる。時にはトリミングで主題を近づけることを想定して撮ることもある。四半世紀前のオールドレンズだがレタッチで画像がそれほど劣化することもない粘り強さがある。自分は写真画像に設計図のような正確性を求めなく、むしろイメージの表現を優先するので、超広角レンズの歪曲収差や周辺の光量不足などがあっても問題とはしてない。むしろその描写特性を情緒としてとらえることにしている。超広角写真の臨場感は他のレンズでは表せないフレッシュなすばらしさがある。
( 2015.04.11 )