シアトルのダウンタウンから太平洋岸までは直線距離で西へ約150kmだ。テントを積み海岸線をオレゴンとの州境まで、状況によっては2泊くらいするつもりでのんびりと走った。そんなドライブは点在している古びた小さな港町で、クラムチャウダーやその土地柄の軽食などで腹を満たすのも楽しい。オリンピック山脈を越えれば潮の匂いが車窓から流れ込み、間もなくなだらかな草原が続く向こうに日本に繋がる海が見えてくる。今の時期になると特に海側は天候が不順で、晴れたり曇ったりの変化が日に何度となく訪れる。海方向は平坦な雲に覆われ、光がその雲に乱反射しているのか、上から優しく照らされているような草原の輝きと美しい色合いを見ることができた。そして丘に上ると草を吹き上げる風音が、さわさわさーっと潮騒のように鳴り、風の強弱で草原がいろいろな形の帯を描いていた。
曇ったこの日の気温は10℃少しで冷たい海風が吹き、1脚を担ぐ手もかじかんできて、車の中に革手袋があるので取りに戻ろうとさえ思った。別に晴れていることを望んでいたわけでもなく、ノースウエストコースト独特の夏でもどんよりとしたこの雰囲気が、街を離れたという気分にさせてくれてなかなかいいのだ。消毒用に持ってきた安ウイスキーをコンロで温め、ツンとアルコールの香りが立つカップを手のひらで包みながらちびちび飲む幸せ感は、都会生活では味わえない安らぎだ。
場所によって霧がでていて不思議な風景を見せてくれている。海からの風が結構強いので凧上げを楽しんでいる人達も多かった。潮の引いた浅瀬でこの地方のダンジョネスクラブが一匹裏返しになって打ち上げられていた。今年は蟹の捕獲ライセンスを取得していなかったが、ルール上のサイズで穫ってもいい大きさだったし、まあこれは置かれていたのを拾ったのだからと、勝手な言い訳でその日の味噌汁にしてしまった。海水で洗っただけだったが、海のミネラルと賞味期限なるものが2年ほど前に切れている味噌とすばらしく融合して、燃料に使った流木の烟りで目をしばしばしながら食べた蟹出汁は、料理コンテスト味噌汁部門で優勝間違いなしの絶妙な味わいだった。
厚い雲の下、暗くなり始めた海は激しくうねり、風が波頭を粉々にしたその飛沫が光を含んだのか、突然銀の輝きを見せ始めた。その時彼方からペリカンが列をなして飛んでくるやいなや波の合間に踊るようにダイビングする。スポーティな遊びをしているのか、小魚を穫っているのか、それにしても一本の隊列を崩さないのがすごい。カメラもレンズも波しぶきに濡れていたがファインダーから目が離せず、このプロ集団のパフォーマンスと荒波が向かってくるズズズズバーンズバーンという濤声に、自分もアドレナリンが体内に放出されたのか身が震えだし、壮大な楽曲のフィナーレのオーケストラ全体の盛り上がりのような完璧な精神興奮の頂点に達した。
灯台を見るのは好きだ。静かに立ち尽くし、遠くを望んでいる姿を見ていると何ともロマンを掻き立てられるし、これから起こり得るいろいろな出来事に敢然と向かい合い、決行できる強い意志力も学べるように感じる。ここはNorth Head Lighthouseという名の、コロンビアリバーと太平洋の合流点にあるおよそ100年前に建てられた灯台だ。この辺りは200年以上も前から「Cape Disappointment」と呼ばれているのだが、その頃何事か良くないことがあったのだろう。実はその名の通り、帰り際に自分の乱暴運転が原因なのだが立木に車の右側をぶつけ、凹ましてしまった。なるほど「失望岬」とはよく言ったもんだ。しかしこの灯台と太平洋の雄大な景色には心を奪われる。暗くなり、海を照らす光線が見える頃にもう一度行ってみたい。嵐だったらドラマチックな光景だろうなあ。
自分の悪い癖でこのような情景を見るとそのバックグラウンドの人間ドラマを想像してしまう。「若者達の夏の日の思い出」で済ましたらいいものを、あれこれと考えを巡らせてしまうのだ。高校生らしきこの二人の姿は恋の終局を思わせる。彼は一応彼女を追うものの、ちょっとしたことで怒り出す彼女に手こずって付き合うのがしんどくなりつつあるし、彼女は「ちょっとしたこと」と何でも軽く片づけてしまう彼の無神経さが気にいらない。折角父親のぴかぴか車を借りてピクニックに来たのに、これではあれこれ持ってきた食べ物をシートに広げ、ニコニコ顔で楽しく会話をしながら食べることも叶わないと、彼は肩にかけたパンや果物や缶入りコーラが重く感じてきている...ああかわいそうな二人。なんて思っていたらすぐにきゃーきゃー叫びながら水のかけ合いを始めたもんだ。挙げ句の果てに膝まで波に洗われているのに立ち止まってしっかり抱き合っている。まあ結果良しなんだけど、取り越し苦労までしながら写真を撮っている自分がかわいくて。
この写真のタイトルは「Another day, Another destiny…」。海岸でこの置き去りにされた飲みかけのビール瓶に気付き、自分でも何故なのか分からないが、最近見た感動的なミュージカルLes Miserablesの “One Day More!” の中のこの一節がふと浮かんだ。希望、挫折、勇気、愛、決断など、フランス革命に絡んだ人間模様は、自分の人生に強烈なスパイスを振りかけてくれるようなものだった。昔石原裕次郎が歌った「明日は明日の風吹く」のような少し捨て鉢な意味ではなく、「風と共に去りぬ」のヒロインのスカーレット・オハラの最後のセリフ「Tomorrow is another day. 」に近いかな。「もう一日、堂々と明日の自分の運命に立ち向かう」のような意志を含んだ言葉と解釈している。でも何故この情景がこの言葉を連想させたかは実に感覚的なものでロジックは全くない。
ここは北緯46度、日本で言えば北端の宗谷岬辺りだろう。しかし暖流なので通常は北の海という感じはしない。ただ天候が悪い日は一転して日本海側の北地方のような荒海になる。この日は春のような長閑な夕べで、太陽も長い時間をかけて沈んでいく。波は静かでカモメやペリカンがゆっくりと旋回しながらエサを探している様はいつまでも見飽きることがない。空は少しずつ赤く染まり、砂浜を照らす色がとても神秘的に変化していく。こんな移り変わりをぼんやり見ていると、日常生活の煩雑さを完璧に忘れてしまう。だだっ広い海は、この星に生命を与えてくれただけでなく実にいろいろな恵みも与えてくれている。その一方機嫌をそこねるとこの静けさとは裏腹に激しく荒れ狂い、人間は抵抗する術もなく手を拱くだけで怒りを受け入れることになる。しかし我々にとって、囲まれている海とは共存しなければならない運命にあるのだから、恵みを少し貰いながらこうして景色を愛でる程度に付き合っていければと思う。