The Wind from Seattle

Vol. 30

The Wind from Seattle Vol. 30

Vol.30という節目で何か特別な意味を持つ写真をと思い、いろいろ試みて自分なりの飛躍を計ったのだがうまくいかない。一所懸命やってみて結局当たり前のことを悟った感じ。成長したい気持ちや努力、その向上心はいいのだろうけど、自分の才能や現在の経験、知識に限界があって、いくらあくせくしても実力以上の成果は今日明日に望めないということだ。自然体でカメラ生活をエンジョイしながら、ある日突然新たな視点を自覚できる発見があるかも知れないと、そんなことを期待しながら普通に続けるのが一番いいのかな。

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早朝、水かさが増す川に出会った。昨夜の雨で山からの流れが厚く速くなっている。枯れ始めた草が明るくざわざわと風になびき、白く光る川の上流の霧か水煙か、次に何かが起こりそうな不気味さを見せている。

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薄日が差す朝の散歩で少し足をのばし、公園を外れて細い車道を越え林の反対側に行ってみると、つい最近までは草むらだった湿地一面に小さな黄色い花の絨毯ができていた。甘い匂い。今もまぶたを閉じると、目の奥にくっきりと明るいつぶつぶが敷き詰められているのが写っている。

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雲が渡ると湖に物語が流れだす。それは楽しく平和な家庭劇ではなくて、ミステリーな内容が渦巻いているのだ。今回の主役は向こう岸の大きな家だな。そして深い草むらにも秘密が隠されているんだ。中年の平凡な独身サラリーマンの自分がぼんやりと釣りをしていたら何か針に当たりがあって、ゆっくり引き上げると...一冊のノートブックがかかってきた。ここから胸騒ぎの始まりだ。う~ん写真小説も面白いかもね。

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顔以外の人の体部分をスナップすることはあまりない。赤坂にあるコーヒーチェーン店のカウンターでオーダーする女性の後ろで順番待ちしているとき、感じのいい足下が目にとびこんできた。これは撮らなきゃとファインダーをのぞいてフォーカスをきめてしっかりシャッターを押した。笑顔がチャーミングな長い黒髪の素敵な女性だった。

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東京に滞在中、泊まったホテルの階段ホールに日が差していた。女性が外を見ていたが、格子のシルエットと階段の壁に落ちている影が面白いパターンを描いていた。これもモノクロ専用機を使い始めてから、目にとまるようになったシーンだ。

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このような透明感のあるものを見ると会話中でもカメラを取り出してしまう。冷たいグラスの外側につく水滴やビールの泡、そしてオンザロックの氷や磨いたテーブルの映り込みなど、いつも撮りたくなる粋な被写体だ。

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看板を描く合間に歌ったり、こうして余裕をもって仕事を楽しむっていいなあ。髪の毛もペンキで固めてあるんだろうか。自由に生きるって憧れる。ストレスがあっても楽しさに変えてしまうテクニックをもっていそうだ。ごはんを食べれて、寝るところがあって、健康だったら後はプラスアルファの恵みでうれしく生きれたらいいよね。

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この店の帽子はこだわりの一品だ。製作者がデザインから完成まで一貫したイメージで手作りをしている。形に基本があって飾りや色で雰囲気を様々に変化させているが、その発想が豊かで個性に富み独特の世界を創っている。アーティストの表情から、彼女の帽子への思い入れが伝わってくる。

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やはりプロの顔は違うな。どんな環境でも撮影をし続けてきて鍛え上げられた強靱そうな皮膚や被写体をのがさない眼。体勢は安定していて、重心は常に一点にある。この穏やかな表情の奥に常に最高の画を撮れる自信がうかがわれる。鏡で自分の顔を見比べてみたらまだまだダメね、シミの多さは勝っているけど、表情がゆるすぎる。

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最近トレッキングに興味を持ちだした。きちっと装備をし、エキスパートに教えられながら歩いている。

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まだハイキングに毛がはえたようなものだが、町では見ることがない自然が作り出すこのせせらぎの文様など、今まで自分がカメラで触れてこなかった新鮮なビジュアルがあった。その視覚の意外性は約束事で造られている町とちがって自由奔放な筆さばきを見せてくれている。

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トレッキングしていると森の奥深くにある生命の営みやダイナミックな光景に出会う。木々も虫も四季を何度も経ながら終わりと始まりを繰り返し続けるのだろう。人間も同じだよねえ。

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人間の生活リズムによると秋は憂いの時期だという。なるほど「憂う」は「愁う」とも書くからそういうことなのだろう。空は高く澄みわたり、紅葉し、そして枯れ葉が風に散り始める。そんな光景を見ていると美しさの感動と共にふと寂しさや人恋しさを覚える。

最近名を成したフォトグラファー達の写真集を友人が貸してくれたりして多く見る機会がある。光と影そして構図、完成されたシーンを、その一瞬を完璧に切り取っているセンスと技術は、有名フォトグラファーの多くが報道写真家として活躍してきたことにもつながるようだ。自分のようなウイークエンドカメラマンでは才能があろうとなかろうとその域に近づくことは不可能だと思った。しかし、せめてこれはスコットの写真だと言わしめれるような個性的スタイルを将来確立できればと、その方向を探っていきたい。