久しぶりに郊外へ出てみると、モコモコとした夏雲がバリトンの声を響かせている。そして土の香りをいっぱい含むロココの光輝に包まれた風景は、刈り入れを終わって古典的な階調の美しいハーモニーを築いていた。
この時期は別段いいことがなくても、気持ちのどこかからか歓びが盛り上がってくる。朝の少し湿った熱気が草の青いにおいを運んできてくれると、体のエンジンが回転しだすように感じるのだ。そして週末の一日を豊かに広がる田園風景の中に身を置いて自分の体を蒸し、天地にのびのびと身体を伸ばすことにしている。
いよいよ昼間の気温が20℃半ばまで上がってきて、初夏の気配が感じられるようになってきた。人々の装いもよりカラフルになり華やかな律動が溢れて、通りはほがらかな笑いに満ちた光彩を煥発していた。今は街も人も最も輝く時なのだ。
眼鏡も最近はファッションとして大切な要素になってきているようだ。その材質もいろいろで色どりも美しく、人々はそんなおしゃれのカデンツァを楽しんでいる。
東京都23区の人口が約900万人で、シアトル市は65万人だからその規模は10分の一にも満たない。しかし面積は東京の半分あるので、ダウンタウンの週末の賑わいといっても東京のそれと比べてとても静かだ。古い通りや建物も、所々補修しながら新しく開発されずに残っている。
街ではお年寄りのカップルが仲睦まじく手をつないで歩いているのをよく見かけるが、心を込めた愛が香りを放っていて、こちらの気持ちも和やかになる。平穏な今を迎えるまでに様々な出来事を乗り越えてきたのだろう、彼の表情の皺に過去の憂いが漲り滋味のある曲調が流れていた。
チャーリー爺さんの103才の誕生日に近親だけでささやかなお祝いをした(自分は図々しくもぐり込んだのだが)。足は弱くなっているけどいたって元気で、何よりも食欲があって、サラダやバーベキューのキングサーモンのでっかいのを平らげてしまうのはすばらしい。こんなに食べて体の線がくずれたらどうしよう、なんて冗談を飛ばすのも生命のリズムを感じさせるチャーリー爺さんならではだ。
ミュージアムの館内にはいろいろな形のイスが備わっている。すばらしい絵などを鑑賞して心も豊かになり、満ち足りた気持ちでこうしてゆっくりと足の疲れを休めることができるので、つい長居をしてしまう。都会のオアシスってこんな場所を言うんだろう。
最近は人も風景もフォトジェニックと思うものに撮る行動を起こしている。それは被写体から何かストーリー性のあるシグナルを受け留めてカメラを向けるという今までの動機とは少しちがうようだ。以前と比べ、より能動的に目を走らせ、時には強引にドラマを仕立てているような気がする。まあ「心を魅了する旋律があるから撮る」という姿勢は同じなんだけど。
日が落ちると、あれほど熱情を発散し続けていた風景が一変して力を主張するのを止め、淡い感傷を秘め、妖しきまでに内にこもり、こちらは独りぼっちにさせられて高まっていた気持は無視される。しばらくして夢幻的トラップのようなこの中に自分の存在を吸い込まれてしまいそうな眩惑を感じはじめ、まるで恋いの焦りのように黄昏の疲労がおそってくる。