ワシントン州は米栂、米杉やモミなど常緑針葉樹の森林が多いのでEvergreen Stateという愛称で呼ばれている。今、そんな緑の世界の中に煌めく紅葉が出現し、季節の不思議な変化を見せてくれて感動する。シアトルは湾や湖に囲まれているので、やはり秋を鑑賞するには水景色とセットになる。
水と言えばシアトルは雨が多いことで有名でレインシティとも呼ばれているが、実際の降雨量はそれほどでもなく、降っても小雨や霧雨で11月から4月にかけて曇り日が続き、ノースウエスト独特の沈んだ静かな環境にあって秋の装いは輝くばかりの効果を見せてくれている。
間もなく雨期に入るこの地域は既に曇り日が多くなってきた。薄く広がった雲が覆う何となく湿った空気の中の彩りは秋色になり始めた葉が競って光を発しているように見える。以前アメリカの友人が言ったことを思い出した。彼女は秋の気配が季節の中で最も新鮮で、「始まり」を感じるという。紅葉はこれから代を継ぐためのエネルギッシュな息吹で、ゴールが春の新緑なのだと。
遠景に霧がかかる風景は、特別のパフォーマンスで秋の訪れを誇示しているかのように見えた。枯れていくというのにこの瞬間の迫力はすごい。線香花火を思い浮かべたが、そのような単に消えていく儚さがないのは、やはり次の世代に引き継ぐという使命の力強さを感じるからだろうか。前述の彼女の言葉が思い浮かぶ。
木々に遅れをとらじと、草も秋の華やかさを急ぐ姿を見せている。ああ自然が描く色づけはこんなに美しいんだ。この季節の彩りの変化を目の当たりにすると、それが自分の生きる楽しさを倍加してくれているのは確かだと実感する。
風光によって別の世界へ来たような錯覚をすることがある。特にこんな秋色の中にいると、自分は黄色の国にいて空気までその色に染まっているように感じる。実際自分の白いポロシャツがここでは黄色味を帯びていた。いや洗濯したのを着てきたから不潔で黄色いのではないから。
湖畔を散歩するご夫婦に出会った。自分より年上だろうと思うが、冬のトレッキングに備えた訓練をしているという。老人を、「終末」を意味する枯れたものに例えることが多いが、枯れる=弱いとは限らない。落ち着いた雰囲気もあって、秋の環境にしっくりと納まっていいなあ。おじいちゃん、おばあちゃん、がんばれ~。
どうも生来、隙間から覗くのが好きでそんな構図の写真も多いが、いったい自分の先祖はどんな仕事をしていたのだろうかと思ってしまうときがある。きっとハンターだったから獲物を枝の間から見ながらそっと近づく習性があるのかな、でも性的好奇心のピーピング常習者だったらいやだな。いや紅葉の隙間から見える風景は絵になるもんねえ。
この時期は湖畔を散歩する女性を多くみかける。でも一人が多いのは何故だろう。現実を少しの間離れてロマンチックな雰囲気を楽しみたいのか、彼と別れた悲しみを癒やしたいのか、いやいやこんなところへ来たらもっと淋しくなるよねえ。とにかく一人になって秋色の静かな自然の中へ暫し身を置くのは、心のクリーニングになるかな。今は自分もそんな気分で湖へ来ることが多いし。
少し晴れ間があったので、ワシントン湖の艇庫のある対岸へランチボックスを持って昼休み時間を過ごした。ばたばたと急いで食事をするのは苦手な自分にはうってつけの長閑な場所だ。水面に映る深い青色もいいし、日差しも柔らかく気温も快適だ。時折通るボートをぼんやりと眺めながら、オフィスからのコールで呼び返されないのを願いつつ、憩いのひとときで心のストレッチができるんだ。
茂みの向こうは見えないけど道がどこまでも続いていそうだし、先に何があるか興味が湧く。実はここは既に何度も来た湖畔で地理はよく分かっているんだけど、とにかく毎回同じようにそう思ってしまう。橋と小道と、向こうの少し秋に色づいた茂み、そして青い空に雲がぷかりとくれば、これはもうお気に入りの物語の始まりなのだ。
この湖には三畳くらいの台が小道に添ってあちこちに設置されている。秋を見ながらのピクニックには最高のスポットだ。案外この辺りには人がそんなに多く来なく、誰にも邪魔されずにゆっくり時間を過ごすことができる。
鳥のように飛んでぐるっと回ってみたいなあ、そんな気になる秋の湖畔。ワシントン湖やサマミッシュ湖のもう秋色になっていたり、まだ緑が残っている風景は、実に面白いカラーパターンを見せてくれている。これから冬にかけての景色の変化がとても楽しみだ。秋があるうちに遠出をしてみようかなあ。