The Wind from Seattle

Vol. 19

The Wind from Seattle Vol. 19

近頃「静物画」に興味を持ちだした。作意があってセッティングされたモチーフも、生活のそのままの場面でも、置かれた器物や食材などに個々の主張があって、見て楽しく、全体的にも調和感があり落ち着いた雰囲気を醸し出している。素材の種類も工夫され、それぞれの大きさ、間隔、向き、角度や上下など実にバランスよく配置されていて感心する。そして色彩の美しさも伴い、その豊かな味わいが自分の心に深く入ってきて、一種の安心感も与えてくれるのだ。

あらかた静物画というのは、油彩、テンペラ、水彩であれ、絵の具や筆も各種準備し、先ずキャンパスや合板などの支持体に地塗りをしてパネルを作り、デッサンから始めて...などと大層な作業になるようだし、写生技術や色彩、構図、そして精神性までとり混ぜて仕上げるのだから、相当の知識と経験が必要になる。

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「静物画」を学んだこともなく、単に描写技巧がすばらしいとか、色彩や構図がいいなあなどと鑑賞したりしている程度の平面的な解釈だけの真似事で「静物写真」なるものを撮ろうというのは、随分と浅はかな行動かも知れない。でも理屈なしに気の向くまま、とにかく撮影を楽しんでいるうちに何かしら得るものがあるかも知れないという思いで始めた。

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すこし調べてみて「静物画」は静物が描かれている単なる「絵」に留まらないことを知った。17世紀頃、宗教画から派生し、身近にある物を写実的に描写した静物画がオランダで好まれるようになったのだが、宗教的根源の流れから、自然物(野菜、果物、魚、肉、花など)や人工物(陶磁器、料理器材、家具、楽器や本など)の存在も豪華さも、すべてが時と共に朽ちて消えていく虚しい運命を比喩した画でもあるという。当初は視覚的リアリズムのただ見事な出来映えの絵画と評価されるだけで、深い内容を含まない静物画は宗教画や歴史画より低く格付けされていたが、このような「はかなさの表現」「啓示なもの」という理念を確立したことで「静物画」のジャンルが認められたようだ。そしてそれはラテン語でヴァニタス(vanitas:虚栄、空虚)と名付けられた。

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今まで見た静物画の記憶では、古くはスペインの写実主義のパイオニアと言われるファン・サンチェス・コタン(1560-1627)の食卓画や、その後のルイス・メレデス(1716-1780)などの作品は、細密描写の技術、表現力、光と影による静物のはっとするような質感に感動した絵画だ。近くはシャルダン、セザンヌ、ゴッホ、マチス、ピカソも有名な静物画を残している。

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静物画はその歴史や時代背景から、時の無常さが主題となるので何となく虚無的な感もある。結局その救いは「神」「仏」に行き着くのだろうか。日本でも「諸行無常」という仏語があるが、静物画の本来の精神性に通じているのが面白い。それを思うに、この蓄音機から流れてくる美しくも不安定で弱々しいメロディも、過去から来てまた去っていく泡沫の夢のようなものと捉えられる。

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そんな寓意的な要素を持つ「静物画」だが、国語辞典では《人物画・風景画などに対し、花・果実・器物などを題材とした絵画のように、それ自体動かないものを主題とする絵》と説明し、その奥にある意味合いには触れてない。英語で静物画は「a still life」と言うので何となく《静止した物が(生)や(時)に関連している絵画》を思わせる。

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野外にあるこのテーマも「静物」だろうか。木漏れ日の下、古びたベンチと朽ちたスコップがなんとなく感傷的で、何故か帽子が置き忘れられていた。頑丈な道具も時間を経て脆く消えていく運命にあるのだ。

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手前のライトと、鏡に映っている対面のライトが呼応して何かを語っているように見える。ガラス器はそれに関係なくひっそりと佇んでいる。そんな情景にあって、静物画的に思うと、半永久的に輝くことのできる外の自然光がなんとなく誇らしげに見えて疎ましい。

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ディナーに招待した客を待つ、まだ食卓の準備が整っていないダイニングルームには飾られた花が生き生きとこの場を保っている。差す光も間もなく急激に力を失い、蝋燭を灯す頃テーブルは溢れんばかりの料理やワインなど、そして人々の笑い声や食器がぶつかり合う音が混じる賑やかな場になるのだろう。しかしそんな光景も花の豪華さも時が過ぎれば萎えてしまうのだなあ、というのが静物画の見方か。

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初めて「静物写真」なるものを、或いはそのつもりで撮ってみたが、先ずは身近なところで撮影のための画材も有り合わせのものを使った。できれば静物の定番であるリンゴの赤やぶとうの房の紫などは形や色のバライティーとして欲しかったがたまたま手近になかった。しかしほしいと思うものを準備し始めるとあれもこれもと取り留めがなくなるので、今回は現状のもので済ませた。「なんでキャベツ?」と問われると答えようがない。何となく気に入ってこんな構成になったのだ。

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アンティークコレクターの友人の家でも場所を借りて撮影をした。この本棚もゆっくり眺めると実にいろいろな色で装丁されている古本が並んでいる。本の種類や内容にも興味があるし、色、大きさやデザインも、写真として単に面白い題材だが、静物画の哲学からすると読んでも何れは無になってしまう知識の虚しさという解釈で、本もよく題材に取り入れられているようだ。

このような「静物画」の本来の理念はそれとして、概念的な自分の好みを表現できるような画材選びの面白さや、色合いや構成を楽しみ、もう少し上達すれば光と影を演出して描写に深みをだす効果など、静物写真は結構作品づくりの挑戦意欲を沸き立たせてくれるモチーフだと思った。このジャンルは自分が普段撮っている人物スナップや風景などのように、そこにあるその瞬間の姿から受けるストーリーの展開とは違って、小説家のように自分が新たに物語を創作してセッティングをし、被写体作りの積極的な行為 (勿論あるがままの静物を撮ることもあるが)という撮影の動機が基本的に今までと逆なので、大いに興味を持った。