コロンビア河はカナダ南西部のロッキー山脈に端を発し、60もの支流を作りながらワシントン州を貫き、オレゴン州を経て太平洋へ流れ込む全長約2000キロの大河だ。年間を通じ豊かな流量に恵まれるので水力発電量は米国の3分の1を産する。玄武岩からなる溶岩台地を浸食して深い渓谷を形成し、州境の支流では無数の瀧が点在すると聞いている。流域の自然回廊のような台地は、場所によって約800種のワイルドフラワーや灌木に覆われている乾燥した平原、というより砂漠に近い地勢になっている。空から見ると、まるで地殻が引き裂かれたようにできた亀裂の中を、川幅を広げたり狭めたりしながら蕩々と流れているのだろう。
河の流れに添ってチェリー街道と呼ばれている97号線を南下すると、所々に町があったり、灌漑された緑の畑と乾いた低い山々のコントラストなど、普段は見ることのない風景がある。
流域にはワシントン州の特産であるチェリーやリンゴの畑が点在していて、高台から見ると茶色い地肌の盆地に緑のシミがあるようで面白い。そしてその中心部に小さな町ができている。
カスケード山脈の東側にあるこの地方は雨陰地帯と呼ばれ雨量が少ない。乾燥した地域で、こんなに広大なチェリー畑をどのように育てているのだろうかと思っていたが、河から直接灌漑したり、引いた水をタンクに溜め定期的に散水車で水を撒いたりしているようだ。
木も草もない山の中腹や河のほとりに大きな家がぽつんぽつんと建っている場所がある。開拓時代に小屋を建てて住みついた何代目かの家族の成長した姿なのだろうか。
不便な場所に住んでいても、アメリカのスーパーマーケットの駐車場は広いから自家用ヘリコプターで買い物ができちゃうということかなあ。住宅の横の空き地に車のように何気なく置いてあるのが愉快だ。
広い広い、とにかく広い。ここは新しく開墾してチェリー畑にしているようだ。何年か先には何トンのいや何十トンの甘いレイニアチェリーが収穫できるのだろう。
崩れ落ちそうな岩肌の下を走っていると、食料雑貨などを売る昔ながらの小さな店が突然現れる。店がある間隔は数十キロになることもあるが、必要であれば寄って備蓄しておける。意外だったのは花屋さんがあった。いいねえ、いいねえ、場所が場所だけに面白い違和感があるのだが、この環境の中ほっとした気分になって運転の疲れも癒された。
街道が河からどんどん離れ低い丘陵に向かっていくのを嫌い、再び河に近づくために道を外れ荒れ野を進む。ガラガラヘビも多く生息しているらしく徒歩ではとても危険だと聞いていたが、正にそんな雰囲気の中を車がエンコしないことを祈りながらひたすら走る。多少の起伏があって先が見にくく、方向を見失わないように茶色く切り立った岩山や太陽で位置を確認する。突然崖に出くわすこともあるかもしれないとスピードは極力おさえた。小高い丘では西部劇で見たような枯れ草や折れた灌木の枝の固まりがくるくる回りながら車の横を通り過ぎてゆくので、マカロニーウエスタン調の音楽でも流れていたら最高だとFMをチェックしてみたがシグナルが弱く、どこのステーションもクリアにキャッチできなかった。いつものように調子にのってムードで突っ走ったが、携帯電話もアウトオブエリアの表示がでて、こりゃあ慎重にやらないと自然の怖さに突入してしまうぞと、速度をより落とした。そしてあと何キロか走って河の気配がなければ引き返そうかと思いだした。そうこうするうちに数十メートル先に突然切れ目があって、その向こうに少し河が覗いたような気がしたので車を止め、歩いて近づいた。やば~、丘に立つとそこから急な下りの斜面になっていてそのまま断崖だった。いい気になって走っていたら滑って止めることができず、そのままダイビングをしていたかもしれない。
ついに出たぞ、水深が何百メーターもありそうな大河がそこにあった。すばらしい!ああこれが自分のイメージにあるコロンビア河だ。下から吹き上げてくる水分を含んだ風がとても気持ちよく体を冷やしてくれる。よく見るとトレールがあって断崖の上を通れるようになっているようだ。さてこれは徒歩道かあるいは馬道か、大きさがここからでは測れなかったが、先住民のインデアンが往き来していて今は忘れられた道かもしれないなどと想像を馳せていた。対岸に日が沈むまで待って赤く輝り映える河を撮りたいと思ったが、地面は脆く崩れそうなので落ちないうちにと車に戻り、街道にでることにした。
人里に近くなると農作物の大規模な畑があちこちにあった。空と競い合うような青紫の花の豪華なカーペットの雄大な景色に圧倒される。ここもコロンビア河からの恩恵をうけているのだろうか、ずーっと向こうの山の方に河がある。これはおそらくジャガイモフィールドか??
家族で世話をしているような小規模のワイナリーも点在していて、石作りの家の横にかわいらしい店がある。今回は時間がなく、訪ねて試飲をしながら買うまでもなかったが、次の機会に一軒一軒回って田舎料理をつまみながらのワインも楽しいだろうなあと思った。
ぶどう畑が続く農場の家畜は馬、牛、そして珍しかったのはラマで南アメリカから連れてきたのだろうか、収穫したぶどうの籠などを背に下げて運んだりするようだ。いや~のどかだねえ。こんなところで日々を暮らしてみたいなあ。
やっと見えてきたハイウエイ90号線、あの橋を渡って西へ向かえばシアトルへ帰れる。小さな町で一泊の楽しい行程だったが、コロンビア河に寄り添って結構な距離を走った。
今自分の心は再び河に戻っている。カナディアンロッキーにある源流を訪ねたいし、ワシントンとオレゴンの州境にある数百メートルから千メートルを超える断崖沿いも走ってみたいと考えている。流域はスメタナが作曲した交響詩の中の「モルダウ」とは異なる風景だが、山脈から細く流れ出した源流が支流をつくりながら徐々に川幅を広め、多くの畑を潤し、乾燥した町にも湿りを与え、平原を裂き、狭い谷を激しく走り、緩やかに起伏する山間をうねり、そして巨大な渓谷を悠々と抜けた後は都市の工業地帯に入り、ついにはそれまでの旅を惜しむかのごとくゆっくりと大洋に流れ込む・・・その様々に変化する流れと環境は、これも絵画的な描写の交響詩を想像するのに難くない。