The Wind from Seattle

Vol. 16

The Wind from Seattle Vol. 16

ライカアカデミーのワークショップでの3日間は、自分が到達すべき目標を知ることができたという実に大きな収穫があった。たった数日の学習で大げさなことをと思わないでもないが、自分なりの目差したいものが分かった気持ちの高ぶりは、中学生の頃だったか女性に憧れの感情を持ち始め色気づいてきた自分が、ある日学校の廊下ですれ違った下級生に、突然気を失うばかりに心を奪われたあの初恋というものの感覚に気づいたのと同じなのだ。

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初恋でも或いは写真の目標の発見でも、何にせよ、こんなどきどきわくわく感覚の受信アンテナはいつも開いておきたい思う。肉体は年と共にほころびがでてくるが、心は終生自分の好むままに新鮮さを保ち、刺激を受ける喜びを持ち続けることができるのだ。人生で幾多の経験を越える毎に心にも「たこ」ができ、物事にそれ程動じないようになるのだろう。そういった慣れの部分とは別の、デリケートに反応できるセンサーは常にぴかぴかに磨いて無垢にしておきたい。

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70才になった今でも子供の頃の初恋の衝撃と同じように激しく心を揺さぶられ、その大秘境を発見したような興奮で、意識が高揚することが多くあればうれしいものだ。きっとその方が人生に感じることがいっぱいあって面白いだろう。ということでこの大げさな写真の目標も胸のなかで静かに燃やし続けていきたいと思う。

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カプチーノの柔らかな甘い匂いに誘われてふと覗いたカフェには、地図らしきものを見ながらひと息継いでいる自転車乗りやうれしそうに語り合う二人が視野に入った瞬間に、この日常の何でもない風景の中へ自分の気持ちが溶け込んでいき、日曜日のすばらしい午後がそこにあるのを見た。そして理屈抜きでシャッターを切りたくなった。こんな大好きな印象が響いてくるのを受け止めれる感覚素子は絶対失いたくないし、カメラのセンサーにもそれを敏感に感じてほしかったのだ。

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人間は心の変化による顔つきをコントロールできるので、外から見て胸間の真相を読むのはなかなか難しい。俗にポーカーフェイスというやつだ。心情を隠した無表情な顔が出来る人と出来ない人とあるが、ふと本音が現れた瞬間が撮れるとそれがどんな顔であっても満足だ。心が素で出てくるのはとても自然な姿だから親近感のある絵になる。

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撮られる本人のその時の気分によっては、表情が自然でいいなんて言われるのはそれこそ不快なことだろうけど、写真の話だから許していただきたい。蝋人形でない限り人は心に直結した百面相があるので、そんな様々な姿を撮りたいのだ。

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NYから帰りインフルエンザを克服した後、いざ出陣という時にメインで使っていたM9-Pの写真画像に変なラインが現れるのに気づき、結局カメラをライカに送って修理を頼むことになった。おそらく撮影素子不良でCCDイメージセンサーボードの新品交換だろう。返ってくるまでまだ一週間や10日はかかるのではないだろうか。

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15年ほど前、ひどい硬膜下血腫で開頭までして脳センサー修理をしたのだが、兵までが見習うこともなかろうにと思った。カメラボディは自分と同じく傷つきながら頑張っているが、最も重要な心の部分であるCCDセンサーがフレッシュになって戻ってきてくれるのはとてもうれしい。今月末に一泊で東のコロンビア川方面の広野へ遠出をしようと思っているが、修理中の車が戻ってこないとワイフのセダンでは厳しい行程になるので、それまでにカメラと共に車も帰ってきてほしい。

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誰もが折り合いのいい好みの場所があると思う。自分の場合、このベンチがそれだ。ここに座っていると売り子と客の掛け合いなど市場の喧騒もかすかに聞こえてきて楽しく、自分の存在が目立ちすぎず孤立もしていない安心感があり、湾から少し塩気を含んだ風が行き過ぎるのを聞きながら、ゆっくりと時が刻まれていくのが心地よい。今日はたっぷり髭のおじさんがのんびりと雰囲気に浸っている様子、壊したくないので横に座るのはよした。

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いい写真を撮ろうと歩き回っても、学んだようなサブジェクトを見いだすのは本当に難しい。あまりアートなるものを深く考えすぎずにシグナルを発している被写体を気楽に撮ろうとしているが、何をどう写すべきかの課題は頭に残っている。その意識が結果として少しでも画像に反映されるようになればいいと思っている。

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今回はM8で新たなチャレンジをしようと90mmの中望遠レンズで人の表情をメインにスナップしたが、この写角だとノーファインダーでしっかりと構図をとるのはほぼ不可能だ。一方、カメラを構えることになると、距離は目分量でセットしておくとしても、チャンスの瞬間に覗いてサブジェクトの位置を決め、ぶれないようシャッターを切るのはこれまた難しかった。又状況によっては35mmで気になるシーンを撮ったが、「いい写真」にするための頭の中のリストをチェックしている間にタイミングを逃してしまうので、結局は被写体からの刺激を受け止めるままを従来通りに素早く撮り続けた。

ワークショップの後、知識が豊富に入りすぎたのか、暫くはカメラを向けるべき写真の価値があると思われる被写体が見つからず(要するに撮るものがなくなってしまい)、困っていた矢先にNYで世話になった友人のEikoさんの「今まで通り直感で撮ってもワークショップでインプットされたことは写真に表れる筈だし、後で撮った画像を見て、学んだ目で気に入ったものをセレクトすればそれでいいんでは。」という言葉にはっと目が覚めて以前に戻りつつある。

昔ゴルフを始めて少し打てるようになった頃に何冊も教則本を買ってあれこれとスイングの研究をしたが、ハウ ツーで頭でっかちになりスコアがめちゃくちゃになったことがあった。その本をすべてライバルに贈り(敵に塩を贈る気持ちで)、先ずは無心に戻ったらスコアも良くなったことを思い出してにんまりしてしまった。本を有り難く読んだ気のいい彼はスイングがぼろぼろになり、その後数年は彼に負けることがなかったし。