「孫子」は今から2500年程前、中国春秋時代の武将、孫武が著作した兵法書で13篇からなり、現代のビジネス戦略にも大いに活用されているようだ。「彼を知り己を知れば百戦して殆うからずや...」は日本でも一般に知られている名句だが、軍争篇から引用された「風林火山」も有名だ。第一篇には心得や事前の準備に関する基本事項、五事(道、天、地、将、法)が記されている。これは実戦に生かす軍事戦略の原論を説いているのだが、この五つの事柄を写真撮影に照らし合わせてみると、なんと写真術の奥義が内容深く凝縮されているのに気づかされる。 「王、指導者、武将」は写真を撮る自分自身であり、「民や兵、そして武器類」はカメラやレンズ、フィルター、三脚などの撮影機器に相当する。被写体が「戦闘の地、相手」で、撮影行為が「実戦」ということだ。そして「勝つ」ことで優れた写真作品が可能になるのだ。
一. 「道」とは民をして上と意を同うし、故にこれと死すべくこれと生くべくして、危うきを畏れざるなり。
自分が使うカメラをよく知り、カメラを愛し、そして自分に同化させねばならない。カメラを感覚的に扱うことができるようになるためにはカメラを常に身近におき、互いに理解し、信頼しあえるような間柄を築きあげることが大切だ。それにはいろいろな状況の中で多くの実戦(撮影)を共に経験することが必要である。そうすればカメラは自ら呼応し、被写体がどんな条件下にあっても最適の写真が撮れる自分なりの撮影スタイルを確立できる。
二. 「天」とは陰陽、寒暑、時制なり。
四季や天候、時刻など自然条件に順応し、それぞれの味わいを知り楽しみむことができる感覚を養うことだ。そして光と影が作る被写体のトーンカーブや色彩、ディテールの印象を読み取り、その都度気持ちを高揚させ、心にわき起こった情感のモチーフを切り取ればいい。その日の気分が環境に適合できなければシャッターボタンを押すことはしない。何故ならば、自分の心と周囲との調和がなければ表現豊かな写真を撮ることはできないからだ。時には被写体によって色彩がそれを描写するのがいいか、黒白がより思いを描いてくれるのか、光の選択を見極めたらいい。
三. 「地」とは遠近、険易、広狭、死生なり。
街、山、野など、どこにいても周囲に目を配り、常に自分の位置や光の方向などを把握しながら行動し、視覚情報は自分の好む絵画的な写真枠に随時頭の中で組み立てておく。そうすれば興味がある出会いが突然現れても慌てることなく、最適の描写による撮影が可能になる。状況によって距離、絞り、シャッタースピードなどは事前にセットしておき、素早くシャッターを切れるようすればタイミングを逃さずに撮れるチャンスが多くなる。行く場所の予定があれば、撮影ポイントをよく調べておき、無駄のない動きで写真を撮ることができる。時には好みの瞬間が現れるまで待つ方法もあるだろう。
四. 「将」とは智、信、仁、勇、厳なり。
写真に対する自分の信念を持ち、堂々と、そして果敢に被写体に立ち向かい、それにカメラを従わすことが重要だ。フルオート設定でカメラまかせでは被写体から受けた自分の思いを画像に出現させることは出来ない。カメラ、レンズの性能や個性をよく知った上で自分の思うように調整し、動作させなければいい写真はとれない。複数のカメラやレンズを連れている場合は、状況に合わせて使用する機器を臨機応変に判断し、冷静に対処する。カメラや機器はどんな場面でも美しく滑らかに自分の手足のごとく扱い、その実力以上の成果をあげれるように誘導できるのは自分の感性と技量次第だ。
五. 「法」とは曲制、官道、主用なり。
カメラ、レンズ、その他アクセサリーの使用法は熟知することが大切だ。そのためには写真理論やそれぞれの機器の仕様、性能をよく学ばなければならない。被写体や環境条件による撮影設定の組み合わせは無限にあるが、基本の法則を知った上でルールを外れることがあっても、いかに描写しどんな表現をするかを自分でコントロールでき、見慣れた風景でも、光の変化による様々なバリエーションの個性的な画像を表出することができる。
この五事を知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。
さて、紀元前の兵法書を引用して写真術を学ぼうという発想はすこしエキセントリックすぎるかなという思いもあったが、あまりにも符合するので、どんどん膨らんでいってとても面白かった。そしてふと、この世の森羅万象は結局一点の真理に回帰するのではないかとさえ思った、とはまたまた大げさに考え始めてしまっている。 外は所々で桜の早咲きを見れるような季節になってきた。レイニーシーズンも間もなく終わるだろう。