The Wind from Seattle

Vol. 11

The Wind from Seattle Vol. 11

1月1日に古稀を迎えた。通常は数え年で70才をいうらしいから去年既にその域に達していたことになるが、自分なりの解釈では今日70年になったのだから、今年を自分の古稀の年とすることにした。杜甫の漢詩で「人生七十古来稀」という一節から古稀と呼ばれるようになったようだ。しかし70年生きているのが「稀」と言われると何となく居心地が悪い。この日まであれこれと綱渡りの場面もあったことを思うと、今あるのは親から貰った健康な心身と幸運があったからこそと、深く感謝している。そして次は77才の「喜寿」。これはいい。77は字形がニコニコしているし、その(2525)は77だし、喜寿という言葉がこれまた特上だ。さてそこに着くまでの7年の計を立てなければならないと思っている。

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既に70年費やしたというのは如何ともしがたい現実なのだが70才というのはどうも響きが老人臭くて気分がよくない。考えて見れば60何才でも充分じいさんなのだが、6と7の受ける感じは平屋と高層ビルのような差があるように思えるのだ。70代になると「これからの人生設計」なんて話はだれも真面目に聞いてくれないような気がする。意地悪な人から、もう長期のプランは必要なく明日は何するかぐらいでいいでしょう、なんて言われそうだ。そんな時はどこからともなく飛んでくるハイキックにお気をつけて。

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「レンジファインダーな人達」でも紹介されたが、自分の人生を顧みると何といろいろ渡り歩いてきたものだと思う。今よりは就職しやすかったのだろう、新聞の求人欄にも豊富に紹介があり、あらゆる職業に就くことができた。そこには実に様々な仕事場が展開していて自分の知らない世界を想像するのは推理小説を読むような面白さとわくわく感があった。苦労はあっても何とか食っていける社会だったので焦らず自分のペースで将来の目標も定めずに先ずは目に留まった興味があることを経験したかった。バーテンダー、商品相場セールス、運転手、貿易事務及び輸入品卸し、小物屋台セールス、製缶工、配管工、土木工事労働者、労働者派遣業、洋服セールス、室内装飾作業員、塗料セールス及び施行、家具セールス、その他ここでは書くことをはばかるような裏の仕事など思い起こせば切りがない。1988年に米国に渡ったがその後でも10社以上の会社を歩いてきたのは、時にはそうせざるを得ない事情もあったのだが、基本的にはそういう性向を持っていたのだろう。今でもフリーの気持ちは変わらず、きっかけがあれば世界のどこへでも行ってどんな仕事でもやってみたいと思っている。  ...ワイフだけは45年間変わってないけど。

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自分の好きな言葉に「解脱」がある。元々仏教用語らしいが、辞書には悩みや迷いなどの煩悩の束縛から解き放たれて自由の境地に到達すること、などと書いてある。しかし自分の場合は生まれつき解脱の心境なので、物事に束縛されていると感じることもないから、煩悩から解脱へのプロセスが最初からないので「悟り」もない。然りとてこの人間社会に住んで仕事もし家族もあるのだから、いろいろ生活上の問題も発生するが、肩の荷を軽くするために最善の方法は何だろうなどと一々深く物事を考え過ぎず、先を読まず、流れの中でその都度軽い気持ちで結論を出し「何とかなるだろう」「時間が解決してくれる」と常に楽観的にやってこれた。だから「解脱」は自分の信条なのだ。

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そんな雑多な人生の中で、今や写真は長続きしている滋味として心の中で大きな部分を占めている。思えば初めてカメラに触れたのは高校生の頃父が買ってくれたアイレス35Ⅲsだった。社会に出た時はニコンのF2フォトミックAを使って仕事の海外出張の際にメモ代わりに撮っていた。そしてその後暫くの間はカメラや写真とは縁がなく、米国に住むようになってからライカに出会った。このあたりのエピソードは「レンジファインダーな人達」で取り上げていただいたとおりなのだが、その後私が写真にのめり込むきっかけとなった1カットをご紹介したい。

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人の繋がりから知ったブログ、 "のんたんのデジタルな風景" に掲載されていたカット。夕陽に透ける波、白く飛び散る波しぶきに負けじとサーフィンをする逆光の若者の一枚の写真に感動し、こんな写真を撮りたいなあと思ったのが始まりだ。ブログのオーナーである"のんたん"さんには、その後日本へ行った際に2度ほどお会いできる機会があった。とてもダンディな方で画家の血筋を引くだけあってアートとしての写真に関する彼の語り口はとても高質なものを感じた。そして写真関連のご友人方にも紹介いただき、様々な写真 ブログの優れた作品に影響されながら自分なりに撮ることを楽しむようになったのだ。

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自分が撮る写真は人物スナップが多いが声をかけて写させてもらうことは少なく、ほとんどが無断撮影になる。生活の一片の匂いがしたり、ストーリーを感じさせる被写体と出会うと写真にしたくなる。そして被写体がモニターやプリントで見る写真になれば、その人物も景色も自分が想像する物語の世界に住み、画像は現実のものではなくなるのだ。写真はそんな自分流の勝手な観念があるので無断スナップも引け目をあまり感じないのかもしれない。

enter image description here 今メインで使っているのは、ライカのM9-P、M8、X1だ。これらを使う理由はスナップ撮影がしやすいことや持っているクラシックレンズが使えることだ。撮るのは、先ず出会う被写体ありきなのだが、そこから送られてくるシグナルをキャッチし、その場面が自分の頭の中に流れているメロディーや走っているリズムに物語性や想像力をうまく響かせてくれた時にカメラを向けたくなる。しかしシャッターチャンスを捉えれるのは数少なくて、うまく写真に残せないことがほとんどだが、そんな興味で街や自然の風景を見て歩くのがとても楽しい。テーマを決めて撮ることはあまりしない。意識的にテーマに添った被写体を探し求めるのは相手のオーラを受けるのではなく、自分の信号を向こうに送りつけているようなもので、そこにピュアな感動は生まれないのではないだろうか。 編集部Kさんのお誘いで今年もこの写真欄を続けさせていただくことになりました。私の拙い写真と文章に目を留めて下さっている皆さまには、この場をお借りして心から感謝の意をお伝えしたいと思います。ありがとうございます。