Fragments of a Stranger
Echoes of Time, Photographs, and Memories
私は生まれつきの“ストレンジャー”だと思う。 その本性に曳かれて自分の知らない世界に興味を持ち、衝動を抑えきれずに神戸、大阪、名古屋、東京、サンフランシスコと職業を変えながら渡り歩き、今はシアトルに留まっている。
そんな細切れの乱数のような人生を送りながら所在の定まらないストレンジャーであり続けているが、若い頃は心の内では安定した生活への憧れがあり、そのギャップに葛藤を抱いてもいた。しかしいつも新たな出会いに惹かれ、結局、自分の知らない“誰か”になってしまう。
カメラのビューファインダーを覗き、フレームで囲まれた魅力的なオブジェを垣間見て、すかさず感性が強烈に呼応すると同時にイマジネーションが膨らんで場面のストーリーをどんどん書き足していく。そしてその隠れていた光景を逃さないよう素早くシャッターを切る。 レンズを透して目に映る自分なりの美や余韻のモチーフを画像に残すのだが、このアクションと収穫の一コマがストレンジャーとしての多面性を色付けし日々の喜びを与えてくれている。
今写真やビデオを見ながらその頃を振り返ってみると、自分の情熱の浮き沈みがシンフォニーの様々な楽章のように流れていったのが想い起こされる。
自分の「時の余韻」を整理しておきたいと、少しずつ作業を始めた。